リンダウ はドイツの地図で
「左下」
にあるスイス、オーストリアとの国境になっているボーデン湖畔の街。
観光地として有名なのは、ボーデン湖に浮かぶ島の部分。
まるでイタリアのベニスのように、湖に浮かぶ孤島です。
ここに行くには、大陸と島を結ぶ橋を渡っていきます。
留学 & 観光で皆さんがいかれるもの、この島の部分。
そこでこのリンダウ(島)についてご紹介いたします。
目次
街の紹介 リンダウ
街の正式名称はそのまんま
“Lindau”(リンダウ)
です。
そう、
「ドイツには同じ名前の町がふたつとない!」
という証です。
そのリンダウはかっての要塞都市。
30年戦争では、数々のドイツの町を廃墟にしたスエーデン軍の攻撃に耐えたほど、強固な要塞都市でした。
今でこそ城壁や監視塔の多くは
「近代化の邪魔。」
と取り壊されてしまいました。
でもよっく探すと、まだ残っている部分が見つかります。
最大の見所は、リンダウの貴重な収入源である港。
お金持ちのヨットが数多く波止場に並び、20~30分置きに大きな観光船が入港してきます。
港の狭い場所で大きな船を旋回させて、停船場にびっしり止めるその操舵技術には感心。
遠足したい方は、ここからスイスやオーストリアまで行けちゃいます。
湖の辺に立つと湖の向こう岸はスイスで、雄大なアルプスを見渡すことができます。
左(東)はオーストリアで、車でわずか数分で国境に達します。
ボーデン湖
日本で一番でかい湖は琵琶湖ですが、そのドイツ版がボーデン湖です。
その大きさも琵琶湖が670㎢なのに対して、ボーデン湖が536㎢なので、
「一割程度」
小さいだけ。
でもボーデン湖は、かって氷河が削ってできた湖なので水深が深い!
なんと一番深い場所で251mもあります。
これには琵琶湖も勝てない(104m)。
そのボーデン湖畔では紀元前4300年の遺跡が見つかっており、世界遺産にも指定されています。
潜水艇で底を探れば、
「お宝」
が出てきそう、、。
リンダウではかってはそのボーデン湖での漁業で大いに栄えました。
今では漁獲量が激減、残る漁師は数少なし。
行き方
リンダウは
「ドイツの一番下」
にあるので、ちょっと行きにくい。
例外は南バイエルンに滞在している人。
バイエルンチケットを使えば、リンダウまでお安く行けます。
ただし鈍行、”RE”/ Regional Express(地方急行という意味)なので、ミュンヘン中央駅から早くでも2時間半は必要。
アウグスブルクの自宅からは車で1時間45分でした。
もしコンスタンツにお住まいでしたら、車で行くよりも観光船で行ったほうが早いです。
名前の由来
街の名前を見て、名前の由来を推測すると99%
「大きな間違い」
を犯します(*1)。
例外はリンダウ。
“Lindau”
という言葉から、街の名前の由来を推測できちゃいます。
そう、
”Linden(菩提樹)
です。
9世紀の書簡で、
「菩提樹が育つ場所」
と、歴史に始めて登場している。
しかし短い一節なので、リンダウの島の部分を指しているのか、島を指しているのかわかってない。
確かなのはボーテン湖を利用した交易の要所として頻繁に利用され、次第に集落が発展していったこと。
教会が建てられた9世紀には、大きな集落に発展していたようだ。
リンダウ 特産物
想像できると思いますが、リンダウには大きな産業はありません。
かっては織物で栄えたこともありますが、それは過去の話。
幸い、有名企業は(まだ)製造工場を幾つか持っているので、十分な雇用があります。
でもリンダウの最大の産業は観光業と第一次産業です。
特産物は
- 果物(リンゴ、なし)
- ワイン
- チーズ
- 魚
- 酒(ビールや焼酎)
など。
なんでもリンダウは
“Allgäuer Käsestraße”(アルゴイ チーズの道)
にも載っているそうです。
リンダウ の歴史
リンダウの歴史は島の部分ではなく、
「根元の部分」
に築かれたローマ帝国時代の居住区が始まりです。
でもその後の歴史は、中世になるまでわかっていない。
1079年、これまでは大陸の部分で開かれていた市が、
「安全上の理由」
から、リンダウの島の部分に移されたのが、街の発展の起源となったようだ。
何しろ島の部分は、四方を湖に囲まれて防御に最適だった。
さらに「大陸」までわずか百数十メートルしか離れておらず、古くから橋がかけられて要塞として利用が始まっていた。
カトリック教のメッカ
リンダウの発展に寄与したのは、もうひとつ。
それは教会です。
皆まで言えばカトリック教会。
1180年前後に主要教会が島の部分に築かれます。
その後、男性用と女性用のフランチスカーナー修道院が建設されて、リンダウはちょっとしたカトリック教のメッカになります。
13世紀後半にハープスブルク家出身の王様、ルドルフが帝国都市の皇帝に就任。
するとリンダウを保護して、街は帝国都市に昇格する。
ボーテン湖の交易による収益に加え、町は硬貨を鋳造する権利を有し、次第に裕福になっていく。
15世紀には(たったの2年間だが)このリンダウで神聖ローマ帝国の国会も開かれている。
防衛軍スウエーデン軍を撃退!
30年戦争では、こんな南までスウエーデン軍がやってきて街を包囲する。
そう、あのローテンブルクを陥落させたスウエーデン軍だ。
しかし所詮は陸の大国。
海軍に欠け、攻めあぐねる。
するとリンダウ防衛軍は夜襲をかけて、包囲軍の兵糧を破壊することに成功。
火事で旧市街(一部)消失
1728年、島の部分で火事があった。
家事はリンダウ旧市街のちょうど真ん中にある市場から出火、一帯は消失してしまった。
でもお金持ちのリンダウは、当時はやっていたバロック式の建築様式ですぐに再建してしまった。
島の部分には戦争遂行に重要なインフラはなく、第二次大戦でも被害を受けなかったお陰で、14世紀建造の建物が町の中にゴロゴロと存在している。
近代 – バイエルン王国領に
1803年、領主がハープスブルク家と領土交換を来ない、リンダウはオーストリアの領土になる。
ところが1805年には、ハープスブルク家はナポレオンに負けて講和条約を結ぶ。
この際にオーストリア帝国は、賠償の一部としてリンダウをナポレオン側についたバイエルに割譲する。
これが原因で、今日でもリンダウはバイエルン州に帰属している。
リンダウ 観光 – 港からの眺望が素敵なボーデン湖畔の要塞
リンダウの観光名所は、島の部分に集中しています。
そこで電車で行くにしても、車で行くにしても、橋を渡っていくことになります。
まるでベニスのようです!
橋から見える左側の対岸はオーストリアです。
橋の逆側は内湾になっているので、数多くのボートが停泊しています。
島のこの部分は(土地がないのに)大きな公園があり、端っこにはカジノまであります。
流石、保養地。
狭い駐車場 & 高い料金
車でリンダウに来たら、橋を渡ってすぐに出てくるロータリーの最初の出口で右折。
200mほど先に改装、増築された巨大な駐車場が右手に見えてくる。
この駐車場、上(下)の階へ移動する回路が狭いっつ!
愛車は4m80cmもあるので、切り替えしが必要でした。
そのまま、
「ええい、ままよ!」
といくと、愛車が凹みます。
週末に5時間ほど止めて、7,20ユーロ。
あのローテンブルクよりも高いです。
リンダウは観光地なので仕方なし?
車を無事止めたら、ロータリーまで戻ってこよう。
すぐ先で町への入り口は、右回りと左周りに分かれている。
「時間がないから港だけちゃちゃとっと見て、早く帰りたい。」
という方は左周りを、
「全部見てみたい。」
という方は右回りを選択してください。
街の博物館 / Stadtmuseum
右回りを選択するとまず最初に見えてくる見事な建物は、リンダウの博物館 / Stadtmuseum だ。
上述の火事で焼け落ちたが、裕福な商人がさらに豪華な屋敷を建造させた。
その後、この屋敷はリンダウ市に寄贈されて、今日では博物館として使用されている。
入場料は9.50ユーロ。
高っ!
まるでノイシュヴァインシュタイン城並み!
が、今は博物館修繕中で閉館しています。
いつまで修繕するのか、最初から書いていないのがドイツ流。
ネプチューン噴水
リンダウ博物館の前にあるのがネプチューン噴水。
噴水中央部のネプチューン像はお世辞にも、
「見事!」
という出来栄えではないですが、噴水の周辺にベンチが置かれており定年退職者憩いの場。
聖ステファン教会 /”St. Stephan”
博物館の対面に、教会がふたつも建っている。
場所の限られている島に教会をふたつも建てるなんて!
博物館を背にして左側がリンダウで市一番大きな教会、聖ステファン教会 /”St. Stephan”です。
1180年建造。
カトリック教のメッカとして、リンダウの発展に貢献した教会です。
もっとも今は、プロテスタント系。
その後、何度も改築され、今の姿は1506年の改築工事の後の姿です。
「ロココ調の装飾が素晴らしい。」
と教会のホームページで謳っていましたが、私が見る限り質素なもの。
コロナ禍では、ワクチン接種センターになってました。
古い鐘
聖ステファン教会の横に古い鐘が、ド~ンと陳列されています。
第二次大戦中に尖塔から落ちたそうです。
高い場所から落ちたのに壊れていなかったので、戦後、墓地で使用。
するとやはりヒビが入っていたのか、割れちゃいます。
そこで今では(溶接修理して)
「お守り・飾り」
として、ここに置かれています。
ミュンスター聖母教会 /”Münster Unserer Lieben Frau”
博物館を背にして右側に、
ミュンスター聖母教会 /”Münster Unserer Lieben Frau”
があります。
お察しの通り、カトリック系(*2)
こちらはリンダウの大火事で焼失したので、再建されたもの。
入ってみると、ロココ調の装飾が綺麗でした。
ランツベルクの聖十字架教会でみた装飾とウリ二つ!
逆光で外観のいい写真が撮れなかったので、内装の写真を紹介!
旧市役所 / altes Rathaus
博物館の先がリンダウのプロメナーデ、一番賑わう通りです。
綺麗な建物が建ち並んでいます。
その中でもとりわけ立派なのが、旧市役所 / altes Rathaus です。
そう、かって国会が開かれたのもココ、旧市役所です。
1422年建造。
1576年に有名な階段と一緒に、
「ルネサンス様式」
に改築されました。
まるで
「中国のお寺」
を彷彿させる装飾です。
尚、ここでアップしている写真は、その旧市庁舎の
「裏面」
です。
正面は影で真っ暗だったので、いい写真が撮れませんでした。
リンダウ 新市役所 / neues Rathaus
旧市役所の隣はリンダウの新市役所 / neues Rathaus です。
見事な装飾の旧市役所のを見た後では、
“nett”(悪くないね)
という程度の言葉しか出てきませんが。
18世紀の初頭に建築されました。
11時45分まで待てば鐘が鳴るとのこと。
待ちきれず、先にいってしまいました。
泥棒塔 /”Diebsturm”
脇道に興味を引かれながらも、目抜き通りを進んでいると、もう駅前。
その手前に色鮮やかな泥棒塔 /”Diebsturm”が見えたので、まずはこちらをチェック。
この塔はかってのリンダウの防御のために建造された見張り塔で、まだちょっぴり城壁も残ってます。
中世には牢屋として使用されたので、泥棒塔という名前です。
ペーター教会 / Peterskirche
泥棒塔に隣接しているのが小さなペーター教会 /”Peterskirche”。
11世紀建造なので、リンダウは勿論、ボーデン湖畔では最も古い教会です。
尖塔ばかりに目が行って、横にある
「小屋」
は無視しちゃいました(*3)。
その小屋、ナチスの蛮行で殺された被害者の慰霊碑が置かれています。
武器庫 / Zeughaus
泥棒塔の裏にあり、誰も見に来ないのがリンダウの”Zeugshaus”です。
そう、かって武器庫です。
その後、劇場、されには兵舎として使用されたので、武器庫には必要のない大きな窓が備え付けてられています。
ちなみに武器庫の側面は、かっての城壁を使っています。
今ではリンダウで休暇を過ごすお年寄りのための演劇場として利用されています。
道化噴水 / Narrenbrunnen
武器庫の前にあるのが道化噴水/ “Narrenbrunnen”。
ウルトラセブンに出てきたような仮装で、いたく気に入りました。
帝国郵便局 / Reichspost
リンダウ駅前にある壮大な建物は、かっての帝国郵便局 / Reichspost。
彫刻が素晴らしい。
今ではもぬけの殻。
浮浪者の住処になってました。
夜間、到着される方は要注意。
浮浪者は夜間、犯罪者に早変わりします。
リンダウ 中央駅
帝国郵便局の先にリンダウの中央駅があります。
フライブルク中央駅のように、
「とっくに壊されてモダンな駅になっているかな?」
かと思いきや、10数年前と同じ。
ちょっぴり安心。
トイレが無料で使えました!
ホテル Bayerischer Hof
お金持ちがリンダウで泊まるのが、駅前にある高級ホテル、”Bayerischer Hof”。
カタカナで書くと、
「バイエリッシャーホーフ」
です。
無理やり日本語にするとバイエルン宮廷。
同じ名前のホテルがハイデルベルク、ミュンヘンなど、ドイツ各地にあります。
リンダウ 港
ホテル Bayerischer Hofの前(それとも横?)リンダウ港です。
20~30分置きに観光船が入港してきます。
大きな観光船を一発で停泊させました。
お見事な操舵。
港の所有者はドイツ国鉄。
その国鉄が、リンダウ港をコンスタンツに売却したためです。
リンダウに住むバイエルン人が、まるで街の象徴のように語り、誇っていた灯台とライオンは、コンスタンツ(バーデン ヴルテムベルク州)の所有物だったんです。
長い争いの後、2010年にやっと港はバイエルン州に帰属することになりました。
灯台 / Leuchtturm
リンダウ港の最大のアトラクションが灯台。
19世紀に建造された灯台 /Leuchtturm の高さは33mもあります。
展望台まで登れます。
3ユーロの入場料を払うと。
上までずっと階段ではなく、階層に分かれており休憩できます。
壁にボーデン湖の説明が書かれているのに、落書きが多くて残念。
教養のない人の真似はやめましょう。
展望台から見るリンダウはこれまた絶景。
- 入場料 : 3ユーロ
- 営業時間 : 10時~18時
今、
「入場料を更新しよう!」
とホーページをチェックすると、
「今は入場できません。」
とありました。
入場禁止の理由、いつまで入場できないか、ドイツらしく全く記載なし。
バイエルンのライオン / Bayerischer Löwe
次はライオン像を見に行こう。
大理石で作られたこの像は、リンダウがバイエルン州に割譲されたことを記念して建てられた。
これが原因で名前はバイエルンのライオン / Bayerischer Löwe 。
ライオンはオーストリアではなく、スイスに向かって吼えています。
マン(ク)塔 /”Mangturm”
リンダウの写真に欠ける事が出来ないできないのが、港に建つマン(ク)塔 /”Mangturm”。
見張り塔ではなくて、かっての灯台です。
高さは20m。
今では港が埋め立てられて陸地になっていますが、この灯台は湖の中に建っていました。
同時に湖から侵入してくる敵を発見、攻撃できるように四角の塔にして、兵士が住める場所を確保。
随所に銃眼が設置されています。
リンダウ 旧市街
最後にリンダウ旧市内も見て行こう。
湖が見える場所には、お金持ちのアパートが並んでいます。
アジア人がアパートの写真を執拗に撮りながら、会話に熱中してました。
ドイツ人が見たら、
「泥棒に入る下調べをしている。」
と警察に通報されますので、他人の家はあまり覗きこまないようにしましょう。
少し奥に入ると庶民の家が並んでいます。
「15世紀建造」と書かれた家屋がずらりと並んでいます。
漁師通り /”Fischergasse”
この通りは漁師通り /”Fischergasse”って言います。
どの家も湖へ降りる桟橋を備えているかっての漁師の家です。
兵舎通り /”Kasernengasse”
太陽が出て暑くなったので、リンダウの随所にある噴水で顔を洗って前進。
お土産屋さんの先の通りの名前は、兵舎通り /”Kasernengasse”といいます。
コレ、確かに兵舎ですね。
調べてみると”Maxkaserne”でした。
リンダウの島の部分には、ふたつも駐屯地があったんです。
自衛隊で言う高射部隊が駐在して、地対空ミサイルが配備されてました。
どちらも70年代に閉鎖されました。
王冠宿 / Haus zur Korne
もう二度と来ないので、路地に入って見逃した建物を見ておきます。
古い家屋が数多く残っており、建築ファンにはいい時間潰しになります。
王冠の飾りのある建物は、リンダウで最古の王冠宿 / Haus zur Korne 。
1443年開業。
皇帝や王様が泊った由緒ある宿。
もっともそれは過去の話で、家の前には粗大ごみが高く積まれ、廃業した様子でした。
ゴミに囲まれた古い家より、向かいの建物のほうが綺麗なので、写真ではそちらを紹介。
Lindavia 噴水
王冠宿 の近くにある噴水はリンダウで一番立派な、Lindavia 噴水です。
日本でも有名な、フュッセンのお城で有名な王様の冠位20周年を記念して建造されたもの。
ここはもう旧市庁舎(裏)で、街を一周して戻ってきました。
生活と物価
生活費の大部分を占める家賃ですが、観光客のメッカであるリンダウの半島部分の家賃は、まるでベルリン並み。
アパートを借りて住むなら、島の部分ではなく、根っこの大陸部分に住みましょう。
島から離れるほど、家賃が下がります。
よくお尋ねいただく治安ですが、高齢者の保養地ですので、治安は抜群にいいです!
リンダウ 留学
リンダウは小さな町で保養地なので、語学学校はひとつだけ。それが駅の横にある語学学校、”Dialoge“です。
スイスからの生徒がとりわけ多く、日本人の生徒は稀。ハイクラスの学校なので、ご予算に余裕のある方にお勧めいたします。
注釈
*1 典型的な例が、「ハンバーグはハンブルクが起源」という思い込み。名前が似ているが故の誤解です。ハンバーグは和製英語。正しい英語はハンバーガー。
正しい英語を使っていれば誤解は誤解は生じなかった?
*2 聖母マリアはカトリック教徒のシンボル。
*3 事前に下調べするのが嫌で、まずは観光 & 撮影。帰ってきてから、「あの建物は何だったの?」とお勉強を始めるためです。
*4 言い換えればバイエルン州ではなく、お隣のバーデン ヴュルテンベルク州に属していました。