お値打ち価格でレベルの高いドイツ語レッスンを提供!ワーホリ滞在に最適です!
Sprachforum デユッセルドルフの語学学校ならココ!
Sprachforumは20年以上の長い歴史を持つデユッセルドルフのドイツ語の専門学校です。学校の教師は大学などでドイツ語教師の専門教育、Daf (“Deutsch als Fremdsprache”)を履修した教師ばかりで、教師 / 授業のレベルは高く安定しています。
毎回、履修したレベルの終わりにテストが控えており、これにパスしないと次のレベルに進めません。こうした厳しいドイツ語のレベルのチェックがある為、デッセルドルフ市内の芸大、音大ではシュプラッハフォールムの B2-2 レベルの終了証で、大学入学に必要なドイツ語レベルに達していると判断されて、DSH 試験、TestDaf、C1などの検定試験が免除されます。
授業料はハイレベルの授業の割りに、かなりリーズナブルです。この値段は、クラスの参加者数を最高16名までに上げることにより始めて可能になってますが、あのゲーテでも16名のクラス参加者数ですので、決して大きすぎるクラスではありません。
学校は定評の有る授業で人気を博して人数が毎年増加、2013年には(同じ建物内で)引越し、教室の数はほぼ倍になり、キッチン、休憩室も設けられました。
学校に通う生徒の数が多い為、授業はレベルにより午前の部と午後の部に分かれいます。参加者の都合により午前の授業、午後の授業と選ぶことができませんので、あらかじめご了承ください。
又、2017年までは小規模に部屋を紹介していましたが、2018年からは授業だけを提供する学校になっています。
よくお尋ねいただく参加者の国籍ですが、とりわけ目立って大きなグループを構成している国籍はなく、均等に分かれていました。
あえて挙げれば、ギリシャ、イタリア、スペイン、東欧、そして北アフリカ諸国からの生徒に続き、韓国、日本という具合で意外に日本人が少なかったです(夏季には日本人の数が増えます)。
学校はデュッセルドルフの中心部からさほど遠くない、大学病院の近くにあります。付近にバス、路面電車の駅が幾つもあり、学校まで最寄り駅から徒歩3分。市内何処に滞在されても通学に便利です。
Sprachforum住所 & 連絡先
Witzelstraße 63
40225 Düsseldorf
Tel. +49 (0)211 415599-0
info(at)sprachforum.de
通学方法
最寄り駅で電車を降りて、電車が来た方向に100mほど戻ると学校は左手に見えてきます。
学校の最寄り駅 地下鉄 U71, 73, 83 及び路面電車 704番のUni Kliniken 駅
デユッセルドルフ市内路線図
パンフレット
ドイツ語版(PDF)各種インフォメーション
料金に含まれるサービス
教材 & 教科書
初級ではBerliner Platz, StudioD、中級レベルでは EM、あるいは Aspekte を使用。教科書代金はコース料金に含まれていませんので、現地でご購入いただく形になります(14~17ユーロ。)
学校の休校日
学校は週末、祭日、それに以下の年末年始は休校日になります。
12月18日~1月2日。
生徒の平均人数
学生の平均年齢
最少年齢
スタッフが対応できる言語
英語、ドイツ語
生徒の国籍
授業内容
レッスン日程
こちらの学校ではドイツ語のレベルに関係なく、以下のコース日程に合わせてのみ、入学できます。
2021年
1月4日~1月29日, 2月1日~2月26日, 3月1日~3月26日, 3月29日~4月27日, 5月3日~6月2日, 6月7日~7月2日, 7月5日~7月30日, 8月2日~8月27日, 8月30日~9月24日, 9月27日~10月22日, 10月25日~11月19日, 11月22日~12月17日
コースの種類と料金
Sprachforumで提供しているコースは、4週間単位の集中コース、夏季のサマーコース、週二回の夕方のコース、それにTestDaf 準備コースになります。
サマーコースは基本的に集中コースと同じですが、遠足などの課外活動が企画される点が異なっています。ここでは集中コースとサマーコースのみ紹介します。
その他のコースの詳細をご希望の方は、別途お問い合わせください。
集中コース
コースは最短4週間からお申し込みいただけます。
週25レッスン(1単位45分)
月曜日~金曜日(祝日を除く)
朝9時~13時 あるいは14時~18時まで
クラス定員:最高18名まで
4週間 | 480EUR |
8週間 | 920EUR |
12週間 | 1380EUR |
延長 | 460EUR/4週 |
夕方コース
コースは最短8週間からお申し込みいただけます 。
週6レッスン(1単位45分)
火曜日 & 木曜日(祝日を除く)
18時15分~20時30分まで
クラス定員:最高12名まで
8週間 | 380EUR |
16週間 | 720EUR |
Sprachforum 宿泊施設
学校は宿泊先を手配していないので、下記のサイトをご参照ください。
Düsseldorf Tourismus
Ferienwohnung Apartment
Ferienwohnungen Wimdu
Airbnb
Sprachforum – 留学までの手順
お申し込みの送信後、留学までの手順は以下の通りです。
- 24時間以内に、お申し込みを確認するメールをお送りします。
- 入学を手配して請求書を発行、入学確認書と共にメールに添付してお送りします。
- 3週間以内に費用をお支払いください。
- 入金が確認されましたら、ご連絡します。
- 航空チケット購入、ドイツ留学・ワーホリ保険にご加入ください。
- 出発!
質問集
その他、不明な点などございましたら、まずは質問集をご覧ください。疑問、悩みの90%は、こちらで解決いたします!
ご利用規約
お申込みいただく前にご利用規約にて、キャンセル条件等、ご確認ください。
街の紹介 – デユッセルドルフ
“Duesseldorf”。日本語でドュッセルドルフ、あるいはデュッセルドーフと表記されているのを見かけます。前者は発音上正しいですが、後者は明らかに間違い。ドーフって、って意味ですから、デュッセルドーフでは、「デュッセル(の)
」になってしまいます。
デュッセルドルフはドイツの一番西にある州、”Nordrhein-Westfalen”州(以下”NRW州”と略)の州都です。この機会に”NRW”州について少しだけ紹介すると、この州はドイツを構成する16州の内、最も人口の多い州(1800万人)で、ドイツの総人口の約20%を占めます。
つまりこの州は日本の都知事選挙のように、国政に大きな影響ある重要な選挙区です。
デュッセルドルフからオランダ国境まで車で20分、ベルギーまで30分ですから、「外国」に行くには便利な場所にあります。「どうして、デュッセルドルフのような小さな町が、州都になったの?」という質問は、「どうして、ボンが西ドイツの首都になった?」という質問と同じくらい聞かれます。
後者は”Bonn”の町の紹介に割愛するとして、前者はこの辺りを占領した連合軍の司令部がここにあったという理由によります。ここに市の行政機能があれば(当時は何から何まで連合軍の許可を必要としましたから)、都合が良かったわけです。
これがデユッセルドルフと仲の悪いケルン市(民)には、気に入りません。デユッセルドルフの発展はプロイセンの皇帝が12世紀に、まだ人口のまばらなこの地域に兵隊を駐屯させたのがその始まりになります。
現在でも街の一角は、”Kaiserswerth”という名前で呼ばれています(“Werth”は”Werder”とも言い、河川に挟まれている島を指します)。もっとも当時は”Dusseldorp” という名で呼ばれていました。
これ(プロイセンの駐屯地)がケルンの領主に気に入る筈もなく、1288年にはプロイセンからこの地方の統括を任せれていたBerg公爵との間で戦争になります。
この戦争で勝ったのがBerg公爵、つまりデュッセルドルです。その後、村(Dorf)から町に昇格しますが、4へクター(200mX200m)にも満たない小さな地域で、15世紀の地図にはまだ名前も載っていません。
デユッセルドルフが発達したのは、よりによって戦争のお陰。7年戦争の頃から度々フランスに占領され、ライン河畔にあるこの場所の戦術的価値が注目されます。そこでプロイセンはここに要塞が築き、町の周囲はローテンブルクで見れるように城壁で囲まれます。
当時の壁の跡は、今でも市内で見る事ができます。近代になって電車の路線を引く際、残っていた城壁を壊して路線を引いたので、市内に向かう道路、線路は必ず橋を渡っていく様になっています。
日本人街 デユッセルドルフ
「日本企業は、どうしてよりによってデユッセルドルフに集まっているの?」
という質問もよく聞きます。デュッセルドルフ周辺はエッセンのクルップで有名なように、炭鉱に恵まれ、ドイツの重工業の中心地でした。戦後、炭鉱の研修生として数多くの日本人がドイツの炭鉱に派遣されるようになります。
この炭鉱労働者が研修を終える頃には、日本での炭鉱業は衰退を始めた為、「帰っても仕事がないから。」と、労働者の幾人かはそのままデュッセルドルフに残って、ここで生活を始めます。
当時は数百人の小さなコミュニテイーでしたが、この頃から日本食のレストランを始める人も現れて、次第に日本人向けのインフラが整備されていきます。日本人学校が設立されると、進出してくる日本企業の数が増え、ますますこの傾向に拍車がかかります。
60年代までは日本人の町として有名だったハンブルクを追い越して、70年代から80年代にかけてデュッセルドルフが日本人の町として確立する事になりました。もっとも日本人の数は90年代に頂点に達し、以降、減少傾向が続いています。
現地での生活
日本企業はかって、デュッセルドルフ市の財源の1/10にあたる額を税金として払っていました。そんな背景もあって、デュッセルドルフの住民は日本人に対して、比較的いいイメージを持っています。
本来なら外国人は不利ですが、アパート探しの際に大家に不審な外国人と混同されなくて済み、スム-ズに契約が結べます。また、デユッセルドルフではドイツ語は片言でも、日本語が出来ればアルバイトができるという強みがあります。
この為、ワーキングホリデーなどでドイツに長期滞在するなら、デュッセルドルフは滞在先としてお勧め。これに加えてデュッセルドルフはライン河沿いで、気候が温暖で住み易いです。
さらには日本食料品店、レストラン等々、日本関連のインフラが整っていて、町並みが少々殺風景(近代的とも言う。)な点を我慢すれば、日本人には生活しやすい街です。
総合評価
町の印象 | |
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施設 | |
交流活動 | |
授業の質/ あなたの上達度 | |
料金に見合う内容か | |
ホストファミリー | |
学生寮 |
参加者の評価
過去にこちらの学校にお申込みいただき、学校の感想をメールでお送りいただいた方に許可をいただき、ここで紹介しています。
学校選びのご参考にしてください。
Y.H 様 2014年 5月ご参加
お世話になります。Hです。こちらに着いたきりご連絡ができておらずすみませんでした。 久しぶりの連絡ですが、本日ステイ先を出ます。とても素敵なステイ先でした。Mさんにはとても良くしていただきました。
私の初級レベルで意味不明なドイツ語をなんとか理解しようと一生懸命耳を傾けて下さるので、とても有難かったです。とはいえ、結局、毎回途中から英語になってしまいました。。。情けない。
次の家が決まっているので、出てしまいますがとても名残惜しいです。またMさんとはお会いする予定なので、その時にはもうちょっと成長した姿を見せたい所です。
学校には次のクラスにも通う予定です。本当に久々に頭を使っているようで、すぐにお腹が空くような状況です。こんなに勉強をしたのは生まれて初めてかもしれません。。。クラスメイトにも先生にも恵まれ、うまくいっております。
ドイツ語は難しいですが、とても興味深い言語です。この歳になって、新たに興味をもって勉強できる分野に出会えたことは貴重な事だと思っています。
来月からは学校に通いつつ、アルバイトも始めたのでミニジョブ範囲内でお小遣いを稼ぎながら生活していく予定です。そして夏以降はこのワーホリ生活の一番の目的でもある旅行・スポーツ観戦を存分に楽しんでいきたいと思っています。
「旅行・スポーツ観戦を楽しむ」という所で、実の所、学校は夏までの予定です。ただ、先にも申し上げた通り思いがけず興味をそそられているため、ドイツ滞在中は独学になってしまいますがコツコツ勉強を続ける予定です。日本に戻ったらまた学校に通う事になると思います。
日本はすでに30℃を超えているそうですね。急に暑くなって大変かとは存じますが頑張ってください。この度は諸々のお手続き本当にありがとうございました。また、折をみてご連絡させていただきたいと思います。