オスナブリュック大学 はウインターコースを開催している珍しい大学です!
と書いても、
「オスナ何?」
という方が大半だと思います。
私自身、
「ニーダーザクセン州の街」
くらいしか知識がない。
そこでオスナブリュック大学のウインターコース & サマーコースに加えて、
「何処にあるどんな町」
なのか加えて紹介したいと思います。
オスナブリュック大学
オスナブリュック大学の正式名称は、Universität Osnabrück です。
ハインリヒ ハイネ大学(デユッセルドルフ大学のこと)と呼ばれても日本人にはぴんとこないので、このわかりやすい名前は助かります。
大学におかしな名前が付いていない場合、原因は2つあります。
- その街を代表する有名人がいない。
- 大学が比較的新しく、規模も小さい(のでおかしな名前を付けると、誰ももわからない)
オスナブリュック大学の場合、どちらでしょう?
実は、両方です。
大学の建立が1974年。
ウィキペデイアで街の有名人を検索すると、フォン シュミット中佐(ドイツ第二帝国陸軍第8連隊長)が一番上に出てきます。
有名人はいなくても、意外と名声を獲得している不思議な大学です。
大学の特徴
その理由は、他の大学にはない学科を提供している事。
例えば
- “Steuerwissenschaften
- “Kognitionswissenschaft”
なんてこれまで聞いたことがない学科があります。
前者を日本語に直すなら税金額。
後者は人間の潜在意識を研究する学問らしいです。
理解できた限りでは。
その他、ドイツ研究協会から350億ユーロも補助金を受けて研究活動が盛んです。
メンブランたんぱく質の研究では世界でもトップレベルだとか。
大学の特徴
オスナブリュック大学には10の学部があります。
文化、社会学部、教育学部、物理学部、生物学部、数学 & 情報学部、言語&文化学部、人類学部、経済学部、それに法学部です。
規模
学生の数が3万人、4万人というマンモス大学が多い中、オスナブリュック大学の在籍学生数は15000人。
日本の大学くらいの大きさです。
大学校舎は市内に2つあり、ドイツ語などの人文学部は旧市街地の大学校舎で抗議が行われます。
街の紹介
オスナブリュックなんて街の名前を聞いたことがなくても、ご安心あれ。
人口16万人ほどの街なので、ドイツに住んでいない限り、滅多に名前を聞くことがない。
東ドイツ人の人間に、
「オスナブリュックって何処にあるの?」
と聞いても、想像さえできないドイツ人がほとんどだ。
この街はドイツ4大民族、本家ザクセン族の住むニーダーザクセン州の南の州境にある街。
地勢上はヴェストラーレンと呼ばれる地区にあり、NRW州の大学町ミュンスターまで60Kmの距離にある。
名前の由来
街の中心を”Hase”という河が流れている。
その支流を”Osna”が呼ばれ、この支流の浅瀬に橋 /”Brücke”がかけられて、”Osnabrück”になったと言われている。
街の歴史
オスナブリュックの発展は、ドイツ最初の皇帝、カール大帝がこの地に市を開く権利を与えてから。
市場を目当てに商人、農民が集まり、次第に人口が増えていった。
中世の時代には強大な権力を持つカトリック教会の独立国、”Hochstift”の領土に取り込まれ、日の目をみない存在だった。
熾烈を極めた魔女裁判
カトリック教の砦だけあって、オスナブリュックでの魔女裁判は熾烈を極めた。
実に276人の女性と2名の男性がいいかがりをつけられて、磔刑に処された。
市は2012年になって市から、「ごめんさい。」と謝罪しています。
カトリック教会からの謝罪はなし。
30年戦争の和議
オスナブリュックが有名になったのは30年戦争の和議、
「ヴェストファーレンの和議」
がお隣のミュンスターとこの街で決議されたのがきっかけ。
これを記念して400年経った今日でも、記念日にはお祝いをしている。(他に祝うことがないともいえる?)
ハノーファー王国からプロイセン領に
一時期、オスナブリュックはナポレオン1世に占領されてフランス領になった。
その後のウイーン会議で、オスナブリュックはハノーファー王国の領土となる。
そのハノーファー王国は、
「天下分け目の対戦」
でプロイセンに敗北する。
ハノーファー王国は解体されてプロイセン領となったので、オスナブリュックもプロイセン領になりました。
街の発展
街が発展を始めたのは、19世紀にハノーファーとオスナブリュックを結ぶ鉄道路線が敷かれたのがきっかけです。
鉄道がさらに西のルール工業地帯まで伸びると、オスナブリュックは鉄鋼業は勿論、製紙業の中心にもなった。
第二次大戦後、凋落してゲットー化したルール工業地帯と異なり、オスナブリュックの街はニーダーザクセン州の中でも失業率の低い街のひとつ。
その原因はフォルクスヴァーゲン社。
ナチスが国民車を製造するために作った会社が、
「世界有数の車メーカー」
に発展すると、車部品を製造する会社が多くここに工場を構えたので、経済は調子がいい。
行き方
オスナブリュックは人口16万人の街なのに、空港があります。
南隣のミュンスターとオスナブリュックの広い空き地に
「ミュンスター – オスナブリュック空港」
という地方空港を作ったんです。
空港から市内までのバスの乗車料金は3.30ユーロ(安い!)
45分の移動時間です。
地方空港なので日本からの直行便はありません。
最寄りの国際空港はデユッセルドルフ空港です。
デユッセルドルフからオスナブリュックまで、2時間ほど移動時間をお見積りください。
市内での移動
オスナブリュックは人口16万人の街なので、路面電車は走っていません。
その代わり街の隅々までバスが走っています。
オスナブリュック大学 ウインターコース
オスナブリュック大学は、初級1 / A1 レベルの学生でも受け入れている珍しい大学です。
さらにこの大学はコース参加者に、宿泊施設を手配してくれる点です。
ゲッテインゲン大学、ボン大学、自由ベルリン大学など、次々と「コースだけ」という形に移行している中、とってもありがたいです。
しかし最大の特徴は、ベルリンまでの遠足がコースに含まれている点です。
2023年の日程は、まずはオスナブリュックで2週間のウインターコース。
その後、2泊3日のベルリン観光に出発して現地解散です。
コース料金にその遠足費用、レッスン費用、それに教材費込みなので、ドレスデン大学のコースよりもお得です!
しかし!
残念ながら2023年のウインターコースは、
ウインターコース詳細
オスナブリュック大学のコースは、スプリングコースではなく、ウインターコースです。
寒さの厳しい2月に行われます!
大学が手配する宿泊施設には2種類あります。
生徒が帰郷したので空いた学生寮の部屋、あるいは市内のWG / シェアハウスの部屋です。
ご希望はあると思いますが、選ぶことはできませんので、あらかじめご了承ください。
大学季節コース質問集
皆さん、同じ疑問を抱えておられます。
これまでお問い合わせいただいた人気の質問をここに挙げておきました。
99% の疑問はこちらをご覧いただければ解決できます!
お問い合わせ & お申込み
質問集を読んでも解決できない場合は、勿論、こちらからお問い合わせいただけます。
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オスナブリュック大学 サマーコース
オスナブリュック大学のサマーコースは毎年、8月半ばから4週間の日程でサマーコースが開催されていました。
が、2023年からコースは7月中旬~8月初旬に変更されました。
コース日程に加えて、
- コース費用大幅増額
- 宿泊施設なし
- 初級1のレベルのみ
という大きな変更が加えられています。
サマーコース 詳細
上述の通り、2023年のサマーコース日程は変則的です。
仮に日程に合わせることができても、コース費用が21万7000円と大幅増額になっています。
2023年からオスナブリュック大学のサマーコースは、コースのみとなります。
さらに!
参加できるのはドイツ語の学習経験がない方のみ!
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質問集を読んでも解決できない場合は、勿論、こちらからお問い合わせいただけます。
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