日本に住んでいると ドナウヴェアト なんて街の名前を聞くことはまずなし。聞いても素通りして、記憶に残りません。少なくとも私はそうでした。

ローテンブルクネルトリンゲンなど、有名な観光名所はひとまず制覇。次はもっと知られていない観光名所探しに入り、見つけた街のひとつがドナウヴェアトです。

ネットで調べても、(綺麗な)写真は少なし。「外れかもしれない。」という一抹の不安はありましたが、アウグスブルクの自宅から1時間もかからない距離。「外れても話のネタになる?」と思い切って、いってみることに。

街の紹介 ドナウヴェアト

ドナウヴェアトはデインケルスビュールからハーブルクエッテンゲンの街を経由して流れているヴェルニッツ河が、ドナウ河に合流する場所に築かれた街。

政治上の区分で言えば、バーデン ヴュルテンベルク州に接したドナウーリース県 / Landkreis Dnaou-Ries の県庁所在でもある。

参照 : wikipedia.org

中世のヨーロッパを永きにわたり統治した神聖ローマ帝国。その大帝国の基盤は、オットー一世によりこのドナウヴェアトで築かれたことを知る人は少ない。当然、町を訪れる観光客(カメラを抱えているかどうかで判断)の数は、片手で数えられる程度。

でもちゃんと事前に調べてから街を歩いてみると、観光名所や史跡が随所に残っています!

行き方

街はアウグスブルクから北に50km少々の距離にあります。自宅からはひたすら国道(でも制限速度は100kmh)を北信するだけ。なのに道中、標識は直進なのに、何故かナビゲーションは右折を指示!迷った挙句にナビを信用して大回り。迷ったら標識を信用しよう!

道に迷わなければ、車で40分ほどで行けます。電車で行っても30~40分。ミュンヘンから向かうと、バイエルン チケットが使える電車だと、1時間45分。ちょっと微妙な距離です。

名前の由来

始めて街の名前を聞くと、「ドナウ何?」と聞かずにはおられない、日本人には発音不可能な名前。無理やり日本語で書くなら、ドナウヴェアト。「ドナウヴェルトじゃないですか。」とおっしゃる方もおられるが、ヴェルトは”welt”と書く。

すなわちドナウヴェルトだと「ドナウの世界」という意味になり、ドイツ人は「一体、何が言いたいの?」と目を丸めます。

日本では”r”は「ル」と発音すると学校で誤って習うのが原因です。皆まで言えば16世紀まで街の名前は、”werd”と表記されてました。その後”wörth”と改名されたので、素直にヴェアトと読んであげよう。

街の歴史

名前の謎が解けたら、街の歴史を見てみよう。ふたつの河川、ドナウ河とヴェルニッツ河が交わるこの部分は、敵の侵入を阻む自然の要害に恵まれた地。集落はかなり昔からあったようだが、街が築かれたのは10世紀になってから。

当時、東ヨーロッパでぶいぶい言わしていたのは、ハンガリー大帝国。素人でも、「いずれ、西に軍を進めてくる。」とわかります。そこで防御に適した場所を探し、みつけたのがこの地です。ドナウ河に橋がかけられて、その橋を眼下に見下ろせる小山の上に街、正確には “Burg Mangoldstein”(マンゴルトシュタイン要塞)の建築が急ピッチで始まります。

ハンガリー軍の猛攻

伝説によれば数万人の巨大な軍を抱えるハンガリー帝国がドイツ領内に侵入、略奪を繰り返しながら怒涛の勢いで快進撃を続けた。当時、軍隊といえばせいぜい数千人程度の集団です。ドイツの地方都市にはこの巨大な軍に抵抗する手立てはなかった。

オットー一世

強大なハンガリー軍はようやくアウグスブルク要塞の前で停止、アウグスブルクを包囲してまさに襲い掛かろうとしていた。ここに救済にやってきたのが東フランク帝国の皇帝、オットー一世だ。

参照 : wikipedia.org

ハンガリー帝国はオットー一世に使者を送り、フランク帝国に侵入する意図がないことを誓ったが、この使者が帰るや否やすぐに進軍を開始、こうしてオットー一世率いる寄せ集めの軍1万余りが、ハンガリーの大軍とアウグスブルクの南で決戦を挑むことになった。

天下分け目の決戦 – レヒヶ原の決戦

こうして995年に今日のアウグスブルクの南のレヒヶ原で起こった決戦が、「天下分け目」の決戦、”Schlacht auf dem Lechfeld” (レヒヶ原の決戦)です。

圧倒的な優勢を誇るハンガリー軍の前で、オットー一世の軍隊は苦戦します。次々に指揮官をハンガリー軍の複合弓の犠牲になって失います。ここで「神風」が吹く。夏の空がいきなり真っ暗になり、豪雨に見舞われると複合弓の接着部分が剥がれて、役に立たなくなる。

この機会にオットー一世の装甲騎士がハンガリー軍に襲い掛かると、ハンガリー軍は大きな被害を受けて、退却を始める。しかし雨で膨れ上がったレヒ河が撤退渡河を阻み、立ち往生。ここで退却するハンガリー軍を追撃してきたオットー一世率いる連合軍に背後を衝かれる。

ハンガリー軍は逃げ場をなくして、完膚なきまでに壊滅される。この戦いの後、ドイツはオットー一世の下に統一されて、オットー一世はオットー大帝として神聖ローマ帝国の王座に君臨することになる。

戦後の発展

要塞の周辺に築かれた集落は、12世紀に街に昇進します。当時の街の名前は ”Schwäbischwerd”。意味はシュヴァーベンのヴェアド/”werd”です。”werd”はこの地方の貴族、”Mangold von Werd”から派生しています。

13世紀になると(日本の天皇家のような)ドイツ最古の貴族であるシュタウファー家が、お家断絶。街はバイエルン公爵に売却されます。14世紀には”Reichsstadt”に昇格、神聖ローマ帝国の直属の治世を受ける街になる。

バイエルン領に

その後、戦略上重要な拠点にあるこの街を巡って、オーストリアのハープスブルク家、スウエーデン軍、バイエルン軍との間で何度も戦闘が繰り返される。18世紀にバイエルン軍が連合軍に敗北してから、この町はバーデン家の支配下にあった。しかしナポレオン戦争の結果、ドナウヴェアトはバイエルン王国に割譲されて、今日に至っている。

第二次大戦中、小さなドナウヴェアトはほとんど被害を受けていなかった。が、米軍の進軍に備えて1945年4月、戦争終結の2週間前に大規模な空襲があり、街の中心部は大きなを受ける。

幸いなことに焼け落ちた町並みは(町の中心部に限られるが)復興され、かって繁栄していた頃の”Reichsstadt”の姿を見ることができる。

ドナウヴェアト 観光 – 帝国街道と城壁が美しい城砦街

ドナウヴェアトは、あのロマンチック街道にも載っている隠れた見所です。人口は1万8千人。アウグスブルク(29万人)のような大きさはないし、ネルトリンゲンのように街自体が史跡というわけではない。

それでも史跡が多くあり、城壁もかなり残っているので、これが小さな街の中にあるので、3時間もあれば歩いて見て回れるのがこの町の魅力だ。まずはこの街の一番の見所の帝国街道から始めよう。

ドナウヴェアト発展の源 – 帝国街道

かっては南ドイツのシルクロードは、アウグスブルクニュルンベルクを結ぶルートで、神聖ローマ帝国の主要街道だった。この街道は “Reichs(帝国)”Straße”(街道)と呼ばれている。アウグスブルクの北にあるドナウヴェアトの真ん中を、この帝国街道が通っている。

この道はちょうど市役所の前から始まり、一番高い場所に建っている「ぎざぎざの建物」フッガー屋敷まで続く坂道で、通りの両側には見事な屋敷が目白押し。

ドナウヴェアト 帝国街道

フッガー屋敷 / Fuggerhaus

16世紀、お金持ちのフッガーは神聖ローマ帝国の”Reichspfleger”(代理人)となり、ドナウヴェアトの実質上の権力者になった。その権力を誇示するために作られた宮殿のような建物がフッガー屋敷 / Fuggerhaus だ。

内部には見事な装飾品があったが、街がバイエルン王国に帰属すると、バイエルンの王様はまるで植民地のようにこれを接収。装飾品はミュンヘンの国立博物館で展示されており、ドナウヴェアト市民にとってはゆるせないミュンヘンの横暴。

戦争で被害を受けたので、戦後、修復されました。撮影にいくとピカピカだったので、最近、修復された様子。現在では県議会として利用されている。

聖母教会 / Liebfrauenmünster

少し坂道を下った先には街の自慢の聖母教会 “Liebfrauenmünster”が建っている。ドナウヴェアトが交易によりお金持ちになったので、同じ場所に建っていた教会を取り壊し、さらに大きな教会の建設が始まったのが15世紀。

もっとも建設工事はうまくいかず、教会の屋根が倒壊してしまう。そこで建築家をクビにして、アウグスブルクから一流の建築家を呼び寄せ、23年後に無事完成。そのせいか、尖塔がずんぐりむっくり。途中で建設を辞めて屋根をのっけて完成させた経緯が、一目でわかります。

この教会(塔)は、ランズフートの教会のように、レンガで建立されている。もっとも高さは比較にならないが。元気があれば塔の上まで上ってみよう(4月~9月に限られます)。この教会からの見晴らしはすばらしい。

ドナウヴェアト 聖母教会 / Liebfrauenmünster

帝国都市噴水 / “Reichsstadtbrunnen”

塔の向かいには帝国都市噴水 /”Reichsstadtbrunnen”という銅像で飾れあれた噴水(井戸)がある。古いものでなく、20世紀に建造された。モチーフは町がシュタウファー家の支配下にあった頃の紋章の鷲だ。

ドナウヴェアト 帝国都市噴水 / "Reichsstadtbrunnen"

舞踏場 / Tanzhaus

通りの中ほどにあり、真っ赤な色で目に付く大きな屋敷が舞踏場 / “Tanzhaus”だ。正確な建造の年代はわかっていないが、ドナウヴェアトが栄えてた14世紀あたりだと考えられている。その名の通りかってはここで踊りが上演されて、宴会が引かれた。

16世紀からは穀物倉庫として使用されたがスペイン王位継承戦争、それに第二次大戦で消失したが、1975年に再建された。

最近では建物がもろくなり、聖母教会のように屋根が抜落ちる可能性も出てきた為、「取り壊す(安い)」か、「修復する(高い)」が議論され、修復されることになりました。予算が組まれ次第、工事になるので、当分、工事現場のない姿を見ることはなさそうです。

ドナウヴェアト 舞踏場 / Tanzhaus

街の指揮官の家 / Stadtkommandantenhaus

隣の黄色い塗装の立派な建物は街の指揮官の家 / Stadtkommandantenhaus。16世紀にはバイエルン公爵 マキシミリアン王の后が住んでいた。なんで奥さんを数百キロも離れたこの町に住まわせたのだろう。

その後、ミュンヘンから派遣された司令官が住んでいたので、この名前。戦争で全焼。戦後、以前の姿に復興されました。

街の指揮官の家 / Stadtkommandantenhaus

Baudrexlhaus

帝国通りの終わりには、綺麗な骸骨屋敷、”Baudrexlhaus”が建っている。16世紀に建造された”Fachwerkhaus”(骸骨屋敷)で、上述のフッガー屋敷と並ぶ、街を代表する建造物だ。

Baudrexlhaus

ドナウヴェアト 市役所

帝国街道の初めにあるのが、「どっちが正面?」と思わせる二面性のドナウヴェアト市役所です。最初に建設されたのは13世紀。その後、何度か消失したがその度に再建され、16世紀には3階(日本で言えば4階)が増築されたので、ちょっとちぐはぐな感じがします。

18世紀に屋根が作り直されて、そのちぐはく感はさらに完璧に。

見所は両方から登れる階段、”Freitreppe”と帝国都市への昇進を記念して取り付けたハープスブルク家の象徴、双頭の鷲。

ドナウヴェアト 市役所

リーダー門 / Rieder Tor

市役所前の通りを右に曲がると、かっての街への入り口になっていたリーダー門 / Rieder Tor が見えてくる。ドナウヴェアトは最初から要塞都市として建築されたので、街は立派な城壁と水路で守られ、街に入るには4つの正門(塔)がありました。

近代化により次々に門が取り壊される中、唯一残ったのがこのリーダー門です。こんな小さな町なのに立派過ぎる。現在は街の資料館になっています。

ドナウヴェアト リーダー門 / Rieder Tor

ドナウヴェアト の離れ小島 リート島 / Insel Ried

この門はまだ城壁と繋がっているで、お堀に沿って少し歩いてみよう。この城壁の「外」にあたる部分はヴェルニッツ河に浮かぶ島になっている。名前はリート島 / Insel Ried。城壁の外ではあるものの、ヴェルニッツ河が自然の要塞になっていたので、島の部分は昔から街の第二の核として発展していました。

門の周辺にはカフェが連なっており、地元民の憩いの場だ。夏には、是非、城壁に沿って歩いてみよう!薔薇や「その他の花」が咲いており、とっても綺麗。観光に行くならやっぱり夏。

ドナウヴェアト の離れ小島 リート島 / Insel Ried

その先には綺麗に修復された”Färbertörl”という塔が建っている。

ヒンターマイヤー家 / Hintermeinerhaus

城壁に沿って歩き出すと、島に「真っ赤」な家が見えてくる。そこで橋を渡って見に行くと、これはヒンターマイヤー家 /”Hintermeierhaus”と呼ばれている、かっての漁師の家。15世紀に建造された。中世の漁師というと貧乏なイメージがあるが、なんと立派な家だろう。

現在は街の歴史を伝える博物館として利用されている。

参照 : museen.de

ヒンターマイヤー家 / Hintermeinerhaus

墓場 / Friedhof

ヒンターマイヤー家の横(裏)の、運河との間の狭い場所に墓石が並んでいます。墓石に刻まれたその年代が、とっても古い!昔は死者を教会の敷地内に葬ることが一般的だったので、この付近には教会があったようです。

調べてもそんな記述がないので、まだ発掘作業がされていないようです。

墓場 / Freidhof

大海原飯屋 / Gasthof zum Hohen Meer

この島の部分にドナウヴェアトの誇る高層建築物がある。それが中華料理屋のような名前の大海原飯屋 / Gasthof zum Hohen Meer だ。建造されたのは17世紀。主要部分は3階建てだが、屋根が4階もある。中世の建築家でしか思いつかない、奇抜な構造です。

大海原飯屋 / Gasthof zum Hohen Meer

聖十字架修道院 / Klosteranlage Heilig Kreuz

ここでお堀にかかっている橋を渡って市内の方向に戻ることもできるが、元気があれば城壁に沿ってもうちょっと先まで歩くと、馬鹿でかい建物が見えてくる。これは聖十字架修道院 /”Klosteranlage Heilig Kreuz”。

ドナウヴェアトの街、もとい、要塞が築かれた際に、要塞の中に築かれた修道院です。落成式ではエギスハイム出身のローマ教皇、レオ11世からイエズスが処刑された十字架の一部が贈られたという、それは由緒のある修道院。落成式では教皇みずからが、落成式を祝ったという。

もっとも当時はそれほど大きくはありませんでした。こんなにでかいと、要塞の中に納まりません。12世紀にこの場所に移動され、このように巨大化しました。

19世紀には修道院は閉鎖になり、所有権はこの地方の豪族、エッティンゲン公爵の所有に移ります。ここに飾られていた装飾品は、公爵の宮殿の飾りになり、建物はカトリック系の全寮制の学校に。学校内で生徒への性的な虐待が長年行われていたことが明らかになり、かっての名声は消散しました。

ドナウヴェアト 修道院 Heilig Kreuz

ドナウヴェアト要塞

聖十字架修道院の横にかって、ドナウヴェアトの街が要塞だった事が一目でわかる要塞の一部が残されています。今はなんと幼稚園として利用中!

ドナウヴェアト 要塞

ドナウ河、それとも ヴェルニッツ河?

城壁に沿って歩いていると、「あ、ドナウ河だ」と思ってしまうそうですが、実はヴェルニッツ河 /“Wörnitz”です。ドナウ河は街の入り口で二手に分かれており、街に沿って流れているのはヴェルニッツ河。

ドナウ河はこの写真の30m手前で大きくコの文字を描いて迂回しています。その部分の写真も載せたかったですが、写真がないっ!この日は入院後のリハビリを兼ねて撮影に行ったので、全部見て回る元気がありませんでした。

ドナウ川 と ヴェルニッツ河

ドナウヴェアトの城壁

ドナウヴェアトは昔の城壁や防衛/監視塔が、市内に多く残っていることでも「有名」です。そもそもこれが見たくてドナウヴェアトに来たのですが、これまで発見できたのはリート島から街中に入る際に見える城壁だけ。

残りは一体、何処に?城壁はそのそも街の周辺を囲んでいるものなので、街の端っこに行けば見つかる筈!街の裏手を目指して歩いていると、「あ、発見。」駐車場の片隅に城壁が。まるで日本のお城の城壁のよう。

ドナウヴェアトの城壁

並木道 / Promenade

この道には並木道 / Promenade という名前が付いている。しばらく歩いていくとシュールな彫刻が。ドナウヴェアトは芸術に力を入れているので、あちこちにシュールな彫刻、銅像が建っている。あ、その先に見つけました、新らたな門(塔)を!

牛門 / Ochsentor

リーダー門ほど立派(綺麗)ではないですが、レンガがむき出して中世の趣があるこの門は、牛門 / Ochsentor です。牛舎が通ったので、この名前になったんでしょうね。門の前にはかってはもっと立派なお堀だったんですが、今では小さな小川になり、お堀の部分は畑になってました。

塔をくぐると”Alte Kanzlei”の立派な建物、その先には昔の関税局、 そして左手には市役所が見えてきます。「もう十分に見た!」という方は、ここから街中に戻れます。。でも本当の見所はこの先にあります。

マンゴルトシュタイン要塞 – Burg Mangoldstein

城壁を見ながら並木道を歩いていくと、先にマンゴルトシュタイン要塞 /” Burg Mangoldstein”が見えてきます。もっとも残っているのは、マンゴルトシュタイン要塞の土台になったでかい岩(マンゴルト岩)と、これに繋がっている(いかにもあとで作り直した)城壁だけ。

かってはこの岩の上に要塞、すなわち城壁に囲まれた都市が築かれていたんですよ!

参照 : wikipedia.org

マンゴルドシュタイン要塞 - Burg Mangoldstein

建造は10世紀なので1000年物だ。この要塞からドナウ川にかけられた橋を監視していました。14世紀初頭、オーストリア公爵は軍を進めて要塞を陥落させます。要塞を築くのに使われていた石材は、数百年にも渡って市民が街の建造物の建設に流用。

それでもまだ1818年には要塞の跡があったそうですが、これも撤去されて、今は土台になった岩しか残っていません。

ドナウヴェアト 旧兵舎 / alte Kaserne

城壁はマンゴルト岩の先で突然、終わっています。「もう終わりなのかな?」と通りを渡ると、先に長屋のような建物が見えてきます。これは18世紀に建造された兵隊用の病院で、野戦病院 / Lazarett として利用されました。

地元の人は旧兵舎 / alte Kaserne と呼んでいます。今は長屋として利用されており、どのアパートも住民がはいっています。かなり人気があるみたい。長屋は城壁の壁に沿って建造されています。

ドナウヴェアト 旧兵舎 / alte Kaserne

城壁を追っていくと、先に最後の塔が見えてきます。この塔のお隣はフッガー屋敷なので、これでちょうど町を一周したことになります。

かれこれ3時間も歩きまわって、観光名所はほぼ制覇。駐車場に向かって歩き出すと太陽の位置が変わって、帝国街道はまた違った雰囲気になってました。聖母教会のすぐ近くの駐車場に戻り清算すると、たったの1.50ユーロ。3時間+ですよ。

すごく良心的な値段です。

 

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