ウイーン校はサマースクール専門の学校です。夏休みのドイツ語研修にどうぞ!
ゲーテ・インスティテュート ウイーン – 割引クーポン券配布中!
ゲーテ・インスティテュート ウイーンのお申し込みで使える割引クーポン券を配布中です。
新規のお申し込みであれば、どなたでも使用できるので、ドイツに留学されるお友達に教えてあげてください。
割引条件
- 使用期限は2021年12月末まで。(2022年のコースにも利用できます。)
- 割引額は20ユーロ/コース。(複数のコースを予約される場合は、個別に清算してください。)
- 何度でも使用できます。
利用方法
オンラインお申込みで清算のページに、”Aktionscode”という箇所があります。ここに割引コード 70011236_2021 を入れるだけです。
詳しい利用方法は図解入りで、ゲーテ インスティテュート 割引クーポン券のぺージで詳しく解説しておきました!
ウイーンの語学留学 ゲーテ・インスティテュート ウイーン
ゲーテ インスティテュート ウイーン / Goethe Institut Wien はオーストリアで初めて開校したゲーテになります。というのも欧州内ではドイツ語の需要が増え、夏のコースはどこも満員という盛況ぶりです。
そこウイーンに支店を開く運びになりました。ただしコースは夏のコースだけ。学校はまだ独自の校舎ではなく、ゲーテのスペイン版である”Instituto Cervantes“の校舎の中にあります。
学校は市内の中心部、ヴィーンのコンサートホールの近くにあります。付近に路面電車、それに地下鉄の駅があるので、市内の何処に滞在されても通学に便利な環境です。
オーストリアのドイツ語には、オーストリア訛りがあります。ドイツでは訛りは地方の財産と考えられるので、オーストリア訛りのドイツ語でも支障はありませんが、本場のドイツ語を習うなら、やはりゲーテの本場のドイツ語をお勧めいたします。
ゲーテ・インスティテュート ウイーン で行われる対面レッスン
これまでウイーン校では夏に限って、2週間のグループレッスンを行ってきました。
コロナの蔓延によりコース参加者の回復が見込まれないため、2021年のサマーコースは中止されることが決まりました。ウイーン校で開催されるのは、オンラインコースのみです。
2022年にはコロナを克服、通常のコースが復活すると思われます。
学校の住所 & 所在地
Goethe Institut
c/o Instituto Cervantes
Schwarzenbergplatz 2,
A-1010 Wien, Österreich
通学方法
路面電車の71番、あるいはDに乗車して”Schwarzenbergplatz”駅で下車すると、学校は目の前です。
学校の最寄り駅
Schwarzenbergplatz 駅(路面電車71,D)
ウイーン市内路線図
Goethe Institut Wien の紹介
パンフレット
日本語版(PDF)各種インフォメーション
料金に含まれるサービス
教材 & 教科書
生徒の平均人数
学生の平均年齢
最少年齢
スタッフが対応できる言語
英語、ドイツ語、チェコ語、トルコ語
生徒の国籍
授業内容
レッスン日程
Deutsch Intensiv + Kultur / インテンシブ コース + 文化
2020年 6月28日~7月11, 7月12日~7月25日, 7月26日~8月08日, 8月09日~8月22日, 8月23日~9月05日, 9月06日~9月19日
コース日程表 & 価格表
コース日程表 & 価格表はこちらからダウンロードできます。
コースの種類と料金
Deutsch Intensiv + Kultur / インテンシブ コース + 文化
授業時間 : 朝08:30~13:00 あるいは14:30~18:30
レッスン数 : 25レッスン/週
クラス定員:最高16名まで
コース期間 : 2週間
コースレベル : A1~B2(B2レベルの授業は午後)
費用 : 819 EUR
ゲーテ・インスティテュート ウイーン 宿泊施設
ゲーテ インスティテュート ウイーン / Goethe Institut Wien ではトイレ、シャワー、簡易キッチン、テレビ、Wifi(25ユーロ+保証金65ユーロ)が完備されて、部屋からの景色も綺麗な宿舎を持っています(部屋からも見晴らしは部屋により異なります)。
学生寮(18~21平米)の宿泊費は、2週間で400ユーロです。部屋にトイレとキッチンがついているアパートは2週間で460ユーロです。どの部屋にも寝具、タオルはついています。
宿泊費用 2020年
学生寮 : 420ユーロ
アパート : 470ユーロ
詳細はこちらをご覧ください。
留学までの手順 & 質問集 ゲーテ・インスティテュート ウイーン
お申し込みを送信後、留学までの手順は以下の通りです。
- 24時間以内に、お申し込みを確認するメールをお送りします。
- 入学を手配して請求書を発行、入学確認書と共にメールに添付してお送りします。
- 2週間以内に費用をお支払いください。
- 入金が確認されましたら、ご連絡します。
- 航空チケット購入、ドイツ留学・ワーホリ保険にご加入ください。
- 出発!
質問集
その他、不明な点などございましたら、まずは質問集をご覧ください。お抱えの疑問の90%は、こちらで解決いたします!
ご利用規約
お申込みいただく前にご利用規約にて、キャンセル条件等、ご確認ください。
街の紹介
日本語でウイーン、英語では”Vienna”、現地の言葉ではヴィーン / Wien 。上唇を噛みながら、「ヴィ」の発音をすると、ドイツ人にも伝わります。言うまでも無くオーストリアの首都、人口168万人を抱える大都市です。
その歴史は長いので簡素に紹介してみると、この地域はすでに石器時代に殖民されています。1世紀になると先住民族のケルト人を追い出して、ローマ人がこの地に砦を築きます。5世紀になるとゲルマン民族が入植を始め、ローマ帝国の砦を奪取してこの地を支配下に収めます。
名前の由来
その後、この地方はワインの栽培で有名になります。一説には、このワイン(Wein)が訛って Wien になったという説があるが、これは眉唾もの。本当は市内を流れる川、Wean が9世紀の書簡で記述されているのが、町の名前の起源になったとされています。
10世紀には東から侵入してきたマジャール人を東フランク王国が撃退すると、(ドイツの)バンベルクの領主であった Babenberger が、ここに公爵領 Ostarrîchi を建設したのが、オーストリア(Oesterreich)の起源となります。
ハープスブルク家
有名なハープスブルク家の支配は、ルドルフ一世が13世紀にベーメン(チェコ)を破ってから。もっとも、首都はウィーンではなくてプラハに置かれます。14世紀にはウイーンは交易で大いに栄え、ウイーン大学もこの時代に建設されています。
オスマントルコの襲来
15世紀になると東方からトルコの大軍が押し寄せてきますが、運良く最初の侵入は防ぎます。次のトルコ軍のウイーン侵入に備え、砦の建設が始まります。これは17世紀になってやっと完成するほどの大事業。砦が完成して間もない1683年、トルコ軍が再度、大軍を持って押し寄せてきますが、砦のお陰でこれに長期抵抗する事ができました。
しかし食料も底を尽きかけ、トンネル爆弾を使って城壁も爆破され、「ヴィーンの運命や尽きた。」と思われた頃、やっと援軍のキリスト教徒連合軍が到着、ポーランド軍の活躍でトルコ軍を撃退する事に成功します。
トルコ軍退却の後には大量のコーヒーが残されており、これがウイーンナーコーヒーの始まりとなりました。又、フランスが原産と誤って信じられているクロワッサンも、実はこの頃ヴィーンで「発明」されたもの。ヴィーンのパン屋が、トルコ人を撃退したお祝いにトルコの象徴である三日月の形をしたパンを焼き、これを食べて勝ち鬨を挙げたのが始まり。
オーストリア皇帝の娘、マリー アントワネットはこのクロワッサンが大好きで、フランスのルイ16世と結婚する際に、このパンのレシピ(正確にはパン職人)をパリに持って行ったのがフランス産クロワッサン、croissant de lune(上弦の月)の始まりです。
もっとも、これは後から捏造された物語と主張する人も居ます。この主張の理由は、1863年に発行された「料理書」。ここに三日月の形をしたパンが記述されており、「すでにトルコ軍の襲来前から存在していた。」との事。
ちなみにフランスにはバターとマーガリンを使用したクロワッサンがあるそうだが、ドイツでは基本、バターのみ。もっともバターは高いので、安いクロワッサンを買うとマーガリンが混じっている可能性大。
大帝国から小国に
ナポレオン敗退後、ウイーン会議で領土を広げ、オーストリア帝国は勢力の最盛期を迎えます。1914年6月に皇太子夫妻がサラエボで殺害されると、オーストリア帝国はセルビアを罰すべく、軍隊の動因を開始。
すると同じスラブ民族のロシアも動因を始めると、「敵が打って来る前に、先手を打とう!」とドイツがオランダ、ベルギー国境から、フランスに先制攻撃。やむなくオーストリア帝国も「参戦」する形になります。
しかし近代化されたドイツ軍に比べ、軍事力に劣るオーストリア帝国は小国のセルビア相手にも大苦戦、結局、ドイツの支援を受けてやっとセルビアを制圧しますが、以後はでかい弟分のドイツの言うなりに。結局、ドイツが敗戦を受け入れるまで「付き合わされて」、オーストリア帝国は解体され、国はほぼ現状の小さな領域に縮小されます。
しかし戦場は国外だったので街はほとんど被害を受けず、綺麗な町並みが残る事となりました。第二次大戦の敗戦ではうまく被害者の役割を演じる事に成功、ソビエト軍による占領も短期間で済み、1955年には完全に独立国となっています。
ウイーンの名産と言えば、(上に挙げたコーヒーの他に)とんかつ(Wienerschnitzel)とチョコレートケーキ(Sachtorte)が有名。前者はドイツと違って子牛の肉を使用、後者は法廷の判決によるとHotel Sacher が作ったケーキだけこの名前を冠してもよい事となり、他のケーキ屋ではしぶしぶ他の名前を導入したという逸話つき。ウイーンに来たら、是非、試して行こう。
行き方 & 最寄り空港
ウイーンの最寄り空港は、いわずもがな、ウイーン国際空港です。
参照 : viennaairport.com
日本からの直行便もあるので、旅行は簡単。オーストリアの首都がドイツや日本の大都心と大きく異なるのは、車での交通ではなく、公共交通機関の復旧にとても力を入れていることです。日本では私鉄と市鉄利害関係から、ひとつのまとまった定期券さえありません。
ドイツには定期券はありますが、月額70~80ユーロかかります。日本に比べれば「安い物」ですが、公共交通機関の先進国、オーストリアとはくらべものになりません。ウイーンでは1年有効の定期券がなんと365ユーロで買えてしまいます!1日、1ユーロという、ドイツ、日本ではあり得ない低価格です。
ウイーン空港から市内へ
公共交通機関の先進国ですから、ウイーン空港から市内中心部への移動も、複数の公共交通機関があります。一番便利なのは、”City Airport Train”、略称、”CAT”と呼ばれる電車です。
参照 : cityairporttrain.com
この電車はノンストップで空港と”Wien Mitte”/ウイーン中央駅を結んでおり、乗車時間はわずか16分!「お隣」のミュンヘン空港には、各駅停車の鈍行だけで、40分もかかります。おまけに朝の5時半から、夜23時39分まで運行!Wi-Fi もあり、往復の乗車券は21ユーロで、14歳までのお子様は無料です!
ウイーン中央駅では4つの路線が交差しているので、ここで乗り換えて、目的地まで手軽に移動できます。ウイーンの中心部、シュテファンドームまではたったの2駅です。
総合評価
町の印象 | |
---|---|
施設 | |
交流活動 | |
授業の質/ あなたの上達度 | |
料金に見合う内容か | |
ホストファミリー | |
学生寮 |